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2018.11.06

社内コミュニケーションの進め方:「メシでも食おうか」を切り札にするには

 社内のコミュニケーションを円滑に行うための有効な手段の一つが食事を一緒に取ることである、と言う考え方に異論を唱える方は多くないと思います。部・課ごとの昼食会や、若手の朝食勉強会、忘年会・新年会に歓送迎会など、会食は会社生活と切っても切れないものです。でも、サシで食事をするとなるとその意味は少し変わってきます。特に、社長から「メシでもどうだ?」と言われたりすると、つい身構えてしまうのが社員の人情ではないでしょうか。
 
 食事の誘いもそうですが、普段やりつけていないことをされると、された相手は当然ですが身構えます。そうすると、食事の最中も誘われたことの意味を考えたり、問いかけに対して慎重になったりと、せっかくの食事がホンネを語る前に終わることにもなりかねません。

 この段差を乗り越えるためには、社長との食事を普段のことにしてしまえば良いのです。そうは言っても忙しい社長にとって、なかなか社員とサシで食事を取る機会を設けるのは難しいと思います。そんな場合の対策として提案したいのが「ゆるい定例化」という方法です。これはたとえば「毎週決められた日に社長が社員と昼食を取る、それは社内コミュニケーションの円滑化が目的で、特にそれ以上の目的はない」という趣旨のお触れを出しておく、というもので、予めスケジューリングしたりせず、運用の中でこなしてゆくという方法です。

 毎週火曜日はなるべく社員と昼食、と決めた社長がいるとして、具体的な予定を決めているわけではないので、社員全員に振られる週もあるかもしれません。また、突発的な仕事が入って実施出来なかったり、社外の用事で時間が取れなかったりするかもしれません。それはそれで良いのですが、ここで大事なことは「実績の振り返り」で、毎月最後に今月は何回食事できたか、そこで何が得られたかを、社長自ら振り返ることなのです。

 振り返って確認できたことは、基本的には社内で共有するのが良いでしょう。むろん、社員のプライバシーに関する情報などは多少の配慮が必要だと思いますが、社長として得られた気づきや新たな発見は、社内で共有される意味のある情報であることが多いのです。

 慣れないうちはどうしても社長の独演会になってしまいがちで、月末に振り返ると実は何も得ていなかった、ということも起きがちです。はじめのうちは仕方がないのですが、社長の側に「コミュニケーションは双方向であるべき」という思いがあれば、そのうち自然に社員からの発信がなされるようになるはずです。

 このやり方が良いのは、「ゆるい定例化」を実践しておくことで、本当に一対一で話す必要がある場合でも、社員に身構えられることなく食事の機会を持てることです。そのためには、「ゆるい定例化」が形骸化しないよう、ある程度の頻度で社員とサシの食事を実施しておく必要があります。少なくとも月イチ、できれば2回以上実施しておくと、空手形に終わることなく社員とのホットラインを確保できます。
 
 あなたの会社では、社長と社員がサシで話せる関係が構築されていますか?

2018.10.29

IT化と社内コミュニケーション

ひところ、IT化の弊害としてよく指摘されたのが、職場でフェイストゥフェイスのコミュニケーションが減る、もしくは成り立たなくなるというもので、隣の席にいる人とさえメールやチャットで済ませるといったような事例がまことしやかにビジネス書を賑わせたことがありました。本当はどうだったのでしょうか?

その後一体どうなっているかというと、職場でさまざまな取り組みが導入される中で、フェイストゥフェイスのコミュニケーションが持つ価値も見直され、それはそれなりに大事にされているのが現状のようです。それでもなお、隣の人とメールやチャットをする理由は声を立てず静かにやりとりできる、話している内容が残る、などのメリットがあるため、時と場合によって選好されているということのようですね。

近頃は家族とさえ、LINEでのやりとりが中心になっていたりします。たしかに日中はそれぞれの都合で職場や学校にいる時間が長く、帰宅する時間も食事の時間も違うことの多い現代の家族では、絆を繋いでくれる重要なツールとしてLINEを手放せなくなっていることも事実だと思います。

LINE以外にもインスタグラムでビジュアル情報を共有したり、シェアリングエコノミーを仲介するさまざまなアプリの使用についてアドバイスしあったり、家族のコミュニケーションそのものがスマホ上で深化するような流れさえ出てきています。

ここでメールやチャット、各種のアプリが提供してくれているそれまでなかった利便性は、むしろ生活を豊かにしてくれていると言えるかもしれません。

家族が離れて暮らしているような場合には一層その効果が顕著です。かつて私が海外、それもアフリカに駐在していた時代には、日本にいる家族の声を聞くのもおカネがかかって大変でしたが、今では撮った写真をすぐにアルバムで共有出来たりします。その意味では物理的距離も時差も、今や大きな障害ではなくなりました。

他方で、ITによるコミュニケーションが絶対に代替してくれない部分がありまして、フェイストゥフェイスのコミュニケーションが持つ、濃密で確実で、しかも第三者が見ることのできる記録には残らない(ここが大事)という性質のやり取りがそれなのですが、フェイストゥフェイスであるからこそ話せることがら、というのもあるわけです。

あなただけを信頼して、あなただけにはお話しします、というとなんだか深刻に聞こえますが、よしわかった、聞こうじゃないか、という態度で真正面から受け止める対応の仕方は、大変深い信頼関係を表すもので、このような信頼関係を醸成することは、どんなに発達したIT技術をもってしても今のところ代替できない重要な要素だと思います。

だとすると、職場の人間関係を規定するのもまたフェイストゥフェイスのコミュニケーションである、という部分はどうやらここしばらく変化しそうにはありませんね。

あなたの会社ではフェイストゥフェイスのコミュニケーションを大切にするための取り組みを講じていますか?

2018.10.23

人はなぜアイディアを思いつくのか

 コンサルタントと言う仕事をしていると、時々びっくりさせられるような鋭い発想をする人に出会うことがあります。組織の中にいる人でも、あるいは個人で凄い仕事をしている人でも、どうしたらこんな発想が出てくるのだろうと不思議に感じるくらいです。こういう人たちはなぜそんなアイディアを思いつけるのでしょうか。もっと根源的な問いに立ち返れば、なぜ人はアイディアを思いつくようにできているのでしょうか?

 文化人類学者の川喜多二郎氏によれば、それは人(人類)が発展するためなのだそうですが、流石に日常の仕事の中では人類の事はあんまり考えていないだろうと思うのです。むしろ自分のことと相手のこと、あるいは会社のこととそれ以外のこと、くらいしか頭に入っていないような気がします(よく参照させていただくラニー・バッシャムによると、人間が一時に意識できる対象はわずか一つだけ、とも言われていますし)。

 それでもやっぱり、思いつく人はそれこそ次から次へと、アイディアを思いつかれるわけでして、本当にそれはどうしてなのだろうと思ってしまうわけです。

 そこで論理学の世界に立ち返ると、またまた川喜多二郎氏の整理ですが、帰納法(induction)、演繹法(deduction)に加えて発想法(abduction)という考え方を参照されています。これは論理学・哲学の上山春平氏からアリストテレスの考え方として紹介されたものだそうですが、だとすると他人に自分の考え方を説明するための方法論として発想「法」、もしくはabductionですから意訳すると「どこかから引っ張ってきたもの」、についてもその正当性あるいは妥当性が古代ギリシャの時代から認識されていた、ということになりますね。

 思いつきは、人をナルホドと言わせるため。

 確かに一番よく思い付きが湧いて出るのは人と話している時、だったりしますので、この考え方もあながち間違ってはいないと思うのですが、でもやっぱり何か違うような気がします。

 課題を抱え、思い悩んでいる時にでもアイディアは湧いたりします。悩みを抱えて寝ると、翌朝解決のためのヒントがアタマの中に整理されてあった、というようなご経験をされた方はいないでしょうか(実は私にはこういうことがよく起きるのです。寝ている間に小人さんが出てきて仕事をしてくれた、と童話みたいな解説をしていますが)。

 それがどんなに独創的なものだったにせよ、やっぱりそれは課題解決のためだったり、もしかするとちょっとした成長や発展を期待した結果としてアイディアを思いつく、ということの延長線上にしか、発想の原点は探せないような気がします。

 そこでよくよく考えてみると、人類なるものの成り立ちはやっぱり個人の積み重ねなので、とある個人が課題を解決したり成長や発展を遂げることは、総和で考えれば人類全体の発展につながる?という整理もできなくはないのかな、と。

 鬼籍に入られてからもうだいぶ時間が経ちますが、川喜多二郎氏であればどんな答えを出してくれたのか、ちょっと興味のある疑問点ではありますね。

あなたの会社では、周りを驚かすアイディアマンを上手く活用できていますか?