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コラム

2019.04.02

発想法がもてはやされた時代

今から半世紀ほどの昔、昭和の高度成長期にビジネスの世界ではさまざまな「発想法」が流行しました。その嚆矢となったのは、1964年に現代教養文庫から出版された「パーティ学」、そして1967年に中公新書から出版された、まさに「発想法」というタイトルの本であったと思います。いずれも当時京都大学におられた文化人類学者である川喜多二郎さんの著作です。「パーティ学」の中で人類の進化に関する優れた洞察と文化人類学の現地調査を行うために開発された情報整理ツール「KJ法」の概要、そしてその詳細が「発想法」と、1970年に出版された「続・発想法」で紹介されました。

KJ法もそうでしたが、手軽に使えることで特に方法論として大ブームになったのは、1969年に岩波新書から出版された「知的生産の技術」で紹介された京大式カード(と、発想法としての「こざね法」)であろうと思われます。さらに中山正和さんによる連想を軸としたNM法や、アメリカから輸入されたブレーン・ストーミングなどがもてはやされ、生産技術分野では問題解決のための方法論として磯部邦夫さんによるKI法なども注目されました。

さらに海外からもたらされた方法論として、アメリカのケプナー・トリゴー社によるKT法や、ロシアからアメリカ経由で入ってきた発明のための方法論TRIZなどは今でも脈々と使われています。また、いささか時代は下りますが大人数で議論を活性化させるためのワールド・カフェなども、広い意味では発想法のバリエーションに入るのではないかと思います。

私が初めてKJ法に接したのは、高校2年生の頃でした。その当時、1970年代後半の日本は、全くもって高度成長時代のど真ん中にあり、その中でビジネス界が注目する方法論とはどういうものなのか、興味津々でむさぼるように関連した本を読み漁ったことを覚えています。いずれもデジタル機器が普及するずっと以前のお話です。

ところが大学4年になって留学したアメリカでは、このようなアナログな手法はあまり注目されておらず、ひたすらコンピューターに傾倒する強い流れに出くわすことになりました。広い学内に張り巡らされたネットワークを介して、たとえば宿題の問題入手は寮に帰ってからコンピューター室でプリントアウト、また回答の提出も学内のどこのターミナルからでもユーザー名とパスワードでカンタンに済ませることができました。

おかげでコンピューターについての先進的な知識と経験を持ち帰ることができたのは、その後の社会人生活において大きなアドバンテージとなりました。入社した会社のオフィスには1983年に発売されたアップルのLisaという伝説的なパソコンが導入されたものの、使える人がいないという理由で新人である私に独占的な使用権が与えられたため、それを使って海外案件の入札書類を作ったりもしていました。

同じ時期に社内では、工場での問題解決とその報告のためにKJ法が使われている場面にも出くわしました。黎明期のデジタルツールと、全盛期のアナログツールが混在していた時代だと思います。

その後の30年は、デジタルツールにとっては大躍進の時代であったと言えるでしょう。パソコンからインターネット、モバイル環境とタブレット・スマホに代表されるさまざまなガジェットなど、その発展は止まるところを知りません。その反面で、アナログツールが活用される場面は次第に減少していったように思います。社内でKJ法が使われる機会も、現場の問題解決など限られた場面のみになってゆきました。どうしてこのような変化が起きたのでしょうか?

原因の一つはスピード感だと思います。企業が求める問題解決のスピードが、デジタルツールの発達によってどんどん早まったことに対し、アナログツールは依然として時間とスペースを消費する度合いが高いままであったことが挙げられます。京大式カードによる情報整理などは、処理のスピードにおいてコンピューターのデータベースソフトに全く敵いませんでした。

他方で、デジタルツールに比べてアナログツールのほうが優れている面として挙げられるのが、参加者の間でフェイストゥフェイスのコミュニケーションが促進されることです。ブレーンストーミングやワールドカフェなどは、今でも会議や研修の手法として盛んに使われていますし、主に病院や大学などで実施されているグループKJ法には大変人気があります。

社員個々人が持っている情報を共有し、参加者全員で未来のビジョンを語るFuture SWOTも、広い意味でのアナログ発想法の一つに分類されるべきツールなのだろうと思っています。カードゲームとして遊び方を決める(パターン化する)ことで、ある程度スピード感にも配慮した作りになっていますし、フェイストゥフェイスのコミュニケーションが活性化される長所は、お互いの夢を語り合うことでさらに強化されます。

開発段階では、学生時代に過ぎゆく時間を気にすることなくせっせとKJ法のラベルを作っていたころの自分を思い出すことがありました。もうあの時代には戻れないけれど、あの時代が持っていた輝きを今の時代とも共有することができるのなら、それは開発者冥利に尽きるものです。このカードゲームには、私のそんな思いが託されています。

いまさらアナログツールかよ、という声も聞こえてきそうですが、インターネット経由の会議ではなかなか出てこないアイディアも、アナログツールならカンタンに共有できるという強みは依然として失われていません。このツールを使って、かつて発想法がもてはやされた時代のワクワク感を追体験してもらえたら。ゲームの開発者として、私はそんな期待を持っているのです。

2019.03.07

アイディアを自在に扱う

仕事でピンチを迎えて打開策を考えなくてはならない状況で、「考えに詰まる」とか「アイディアが出てこない」という場面を経験したことのある方は少なくないと思います。逆に、風呂に入っているときや通勤電車の中などで、ヒラメキが湧いたり解決策のヒントが「降りて来た」という経験をしたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。アイディアは必要な時に詰まり、必ずしもそうでないときに湧いて出る、どうしてそんなことが起きるのでしょう?

頭脳の中で「思いつき」「発想」、はいつどのようにして生まれるのか?これまでさまざまな研究がなされてきているようですが、そのメカニズムを科学的に解き明かしたという話はまだ聞いたことがありません。それでも日々、何気ない言葉のやり取りや目に映る様々な景色から、人はアイディアを思いつくのです。最近の朝ドラでは、インスタントラーメンの開発者が妻の上げる天ぷらからヒントを得て製法を考え付いたというエピソードが紹介されていましたが、これこそが象徴的な話です。

他方で、本当にアイディアを欲している人からすると、いつまでも思いつきが降りてくるのを待っているというわけには行きません。事実、ビジネスの世界を中心にアイディアを意図的に生み出す取り組みは世界中で長年続けられてきた実績があります。

連想的発想法としてのシネクティクス法やNM法、構造的に事実関係を可視化するKJ法、経過する時間と場所から問題点を洗い出すKI法、パターン分析に基づく発想法であるTRIZ法、論理的に段階を追って考えを詰めてゆくKT法など、体系化された技法は受け継がれ、世界中のさまざまな場面で使われています。身近なところでは、オフィスでよくつかわれるブレーンストーミングや、大人数のワークショップで活用されるワールドカフェなども、発想を刺激するという意味では有効な手法です。

時代は変わり、現在はたとえば人工知能によるビッグデータの観察など、人間の能力が及ばないスケールの取り組みに焦点が移ってきています。それはそれで素晴らしい発展なのですが、そもそもビジネスのとある場面で求められる小さなアイディアを扱うにはやや器が大きすぎるという難点があります。いずれそのうちAIが発達して、日常の細かなアイディア出しまでスマホが面倒見てくれるようになるのかもしれませんが、とりあえず今日そのようなサービスはまだ存在しないわけですから、それは人間が額に汗して取り組まなければならない課題なのです。

私が提案しているFuture SWOTも、参加者が自社の未来について考えを出し合う手法ですから、広くとらえれば発想法の一類型として整理できるのかもしれません。ただ、組織の未来を考えるためだけに開発された専門的なツールですから、その意味での汎用性はありません。それでも普通の企業をはじめ、役所や病院など、さまざまな組織でお使いいただけるように作られていますので、未来について考えるというテーマであれば、かなり広い範囲で活用いただけます。

おかげさまでこのほど、入門書の出版も決まりました。これを機に幅広い分野で普及を進めて行きたいと考えています。会社の未来を考えるために、アイディアを縦横無尽に駆使できるツールFuture SWOTを、どうぞよろしくお願いします。

2019.02.26

発想と探鉱は似ている

その昔、発想法に関するビジネス書がブームになった当時から、私はさまざまな手法とその裏付けとなる理論や考え方に一方ならぬ興味を抱いてきました。たとえば中山正和さんが提唱したNM法は連想に基づいた発想法ですし、同様に類比発想を体系化したものとして、アメリカ発のシネクティクス法があります。

それに比べると、川喜多二郎さんのKJ法は、情報のとりまとめと論理的な位置関係をビジュアルに整理する点で優れていたと思うのですが、実は非常にロジカルで、必ずしも連想の力に頼らない手法です。ただ、そのいずれもがデジタル全盛の今日では人気がなく、廃れてしまったような印象があります。それはどうしてなのでしょうか?

特に連想を使ってアイディアを探る方法は、単なるイメージに過ぎませんが、鉱脈を探り当てようとする探鉱に似ているような気がします。連想によるアイディア探しもそうですが、あちこちの地層を探って最後にたどり着くというプロセスが直接的でないというか、不要な回り道をしているイメージがあってスピード感に欠けるあたりがデジタル世代には受けないのかもしれません。

確かに、連想のための連想を冗長に続けていられるほど現代人は暇ではないわけで、そう考えると何人もの関係者が一堂に会し、一定の時間を作業に取られるという方法は、それだけでも敬遠されてしまいそうです。

でもそれは、アイディア探しの価値が下がったとか、現代社会ではアイディアを出さなくても仕事が進むという話ではないだろうと思います。確かに、最も手軽な発想法であるブレーン・ストーミングは今日まで脈々と使われ続けています。冗長性を回避しつつ、時間効率を上げるような手法が開発されれば、現代社会においてもその有用性は十分価値を持つものなのではないか、私はそんなふうに思っています。

Future SWOTカードゲームは、全く手掛かりなしで取り組む発想法に比べるとカードのメッセージに答えてゆくという決まったプロセスを経る分だけ冗長性が軽減されています。出たアイディアを仕分けたうえでSWOT分析をかけるという流れも、時間を節約するための対策と認識いただいて間違いはないと思います。

いかんせん、現状では関係者が一堂に会してゲームをする必要性があるため、忙しい現代人にとって理想的な手法だとまでは言えないのですが、このあたりもネットアプリで同じようなことができるようになると空間的な乖離は埋められるようになりそうです。そのくらいになると、たとえば東京本社と北海道の工場と鹿児島の研究所で、同じセッションを通じて相互理解が深まる、などと言った場面が出てくるのかもしれません。そうなる明日をぜひ夢見たいと思います。