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コラム

2018.10.29

IT化と社内コミュニケーション

ひところ、IT化の弊害としてよく指摘されたのが、職場でフェイストゥフェイスのコミュニケーションが減る、もしくは成り立たなくなるというもので、隣の席にいる人とさえメールやチャットで済ませるといったような事例がまことしやかにビジネス書を賑わせたことがありました。本当はどうだったのでしょうか?

その後一体どうなっているかというと、職場でさまざまな取り組みが導入される中で、フェイストゥフェイスのコミュニケーションが持つ価値も見直され、それはそれなりに大事にされているのが現状のようです。それでもなお、隣の人とメールやチャットをする理由は声を立てず静かにやりとりできる、話している内容が残る、などのメリットがあるため、時と場合によって選好されているということのようですね。

近頃は家族とさえ、LINEでのやりとりが中心になっていたりします。たしかに日中はそれぞれの都合で職場や学校にいる時間が長く、帰宅する時間も食事の時間も違うことの多い現代の家族では、絆を繋いでくれる重要なツールとしてLINEを手放せなくなっていることも事実だと思います。

LINE以外にもインスタグラムでビジュアル情報を共有したり、シェアリングエコノミーを仲介するさまざまなアプリの使用についてアドバイスしあったり、家族のコミュニケーションそのものがスマホ上で深化するような流れさえ出てきています。

ここでメールやチャット、各種のアプリが提供してくれているそれまでなかった利便性は、むしろ生活を豊かにしてくれていると言えるかもしれません。

家族が離れて暮らしているような場合には一層その効果が顕著です。かつて私が海外、それもアフリカに駐在していた時代には、日本にいる家族の声を聞くのもおカネがかかって大変でしたが、今では撮った写真をすぐにアルバムで共有出来たりします。その意味では物理的距離も時差も、今や大きな障害ではなくなりました。

他方で、ITによるコミュニケーションが絶対に代替してくれない部分がありまして、フェイストゥフェイスのコミュニケーションが持つ、濃密で確実で、しかも第三者が見ることのできる記録には残らない(ここが大事)という性質のやり取りがそれなのですが、フェイストゥフェイスであるからこそ話せることがら、というのもあるわけです。

あなただけを信頼して、あなただけにはお話しします、というとなんだか深刻に聞こえますが、よしわかった、聞こうじゃないか、という態度で真正面から受け止める対応の仕方は、大変深い信頼関係を表すもので、このような信頼関係を醸成することは、どんなに発達したIT技術をもってしても今のところ代替できない重要な要素だと思います。

だとすると、職場の人間関係を規定するのもまたフェイストゥフェイスのコミュニケーションである、という部分はどうやらここしばらく変化しそうにはありませんね。

あなたの会社ではフェイストゥフェイスのコミュニケーションを大切にするための取り組みを講じていますか?

2018.10.23

人はなぜアイディアを思いつくのか

 コンサルタントと言う仕事をしていると、時々びっくりさせられるような鋭い発想をする人に出会うことがあります。組織の中にいる人でも、あるいは個人で凄い仕事をしている人でも、どうしたらこんな発想が出てくるのだろうと不思議に感じるくらいです。こういう人たちはなぜそんなアイディアを思いつけるのでしょうか。もっと根源的な問いに立ち返れば、なぜ人はアイディアを思いつくようにできているのでしょうか?

 文化人類学者の川喜多二郎氏によれば、それは人(人類)が発展するためなのだそうですが、流石に日常の仕事の中では人類の事はあんまり考えていないだろうと思うのです。むしろ自分のことと相手のこと、あるいは会社のこととそれ以外のこと、くらいしか頭に入っていないような気がします(よく参照させていただくラニー・バッシャムによると、人間が一時に意識できる対象はわずか一つだけ、とも言われていますし)。

 それでもやっぱり、思いつく人はそれこそ次から次へと、アイディアを思いつかれるわけでして、本当にそれはどうしてなのだろうと思ってしまうわけです。

 そこで論理学の世界に立ち返ると、またまた川喜多二郎氏の整理ですが、帰納法(induction)、演繹法(deduction)に加えて発想法(abduction)という考え方を参照されています。これは論理学・哲学の上山春平氏からアリストテレスの考え方として紹介されたものだそうですが、だとすると他人に自分の考え方を説明するための方法論として発想「法」、もしくはabductionですから意訳すると「どこかから引っ張ってきたもの」、についてもその正当性あるいは妥当性が古代ギリシャの時代から認識されていた、ということになりますね。

 思いつきは、人をナルホドと言わせるため。

 確かに一番よく思い付きが湧いて出るのは人と話している時、だったりしますので、この考え方もあながち間違ってはいないと思うのですが、でもやっぱり何か違うような気がします。

 課題を抱え、思い悩んでいる時にでもアイディアは湧いたりします。悩みを抱えて寝ると、翌朝解決のためのヒントがアタマの中に整理されてあった、というようなご経験をされた方はいないでしょうか(実は私にはこういうことがよく起きるのです。寝ている間に小人さんが出てきて仕事をしてくれた、と童話みたいな解説をしていますが)。

 それがどんなに独創的なものだったにせよ、やっぱりそれは課題解決のためだったり、もしかするとちょっとした成長や発展を期待した結果としてアイディアを思いつく、ということの延長線上にしか、発想の原点は探せないような気がします。

 そこでよくよく考えてみると、人類なるものの成り立ちはやっぱり個人の積み重ねなので、とある個人が課題を解決したり成長や発展を遂げることは、総和で考えれば人類全体の発展につながる?という整理もできなくはないのかな、と。

 鬼籍に入られてからもうだいぶ時間が経ちますが、川喜多二郎氏であればどんな答えを出してくれたのか、ちょっと興味のある疑問点ではありますね。

あなたの会社では、周りを驚かすアイディアマンを上手く活用できていますか?

2018.10.16

話せばわかりそうなものだけど

研究会や勉強会を主催していると、なんでなんだと言いたくなるような出来事にしばしば出くわすことがあります。たとえば会報をメール配信しているような場合にありがちなのが、催事の記事に申込先が別途記載されているというのに、配信メールへの単純返信で申し込んでくる人が後を絶たないことです。単純返信されないように配信専用のメールアドレスを作るのが有料だったりすると、どうしても割り切れなさを感じてしまいます。

メールに書かれた注意書きをついうっかり見逃すのはまだ分かるとして、会合などで直接連絡したにもかかわらず、まだ同じ現象が続くという経験をされたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。会合など一対多の関係で伝えられるメッセージは、どうしても聞き漏らしする人が出てくる可能性が残ってしまうようです。それはなぜなのでしょうか?

会合での連絡事項などは、メッセージの性格上どうしても最後に伝えられることが多い分、集中力が切れているということもあるでしょう。またそもそも人間は、人の話を聞かされることを負担に感じる生き物なので、「自分が対象なのかどうか」をまず判断してしまうという性癖があります。必ずしも自分が対象ではないと判断した連絡事項は聞き流すだけになるので、主催者側からすると「言っても伝わらない」人が出てくる原因になります。

これが一対一になると、伝わることの確かさはぐっと上がります。特に確認のフィードバックが取れる双方向のコミュニケーションが成立していれば、確かさは一層確実になります。

やって見せ、言って聞かせてやらせてみて褒めてやらねば人は動かず(山本五十六)

良く知られた対人コミュニケーションの極意を教える言葉ですが、この言葉の中にも「やらせてみる」というフィードバックのプロセスが織り込まれています。実は一対多のコミュニケーションでも、簡単なフィードバックのプロセスを織り込むだけで随分とストレスは軽減されることが知られています(小学校で先生が「分かった人は手を挙げて」という、あれです)。

これが多対一の関係になると、一対一の関係に比べて伝わることの確かさがさらにアップする反面で、伝えられるべきメッセージがまとまりにくくなるという別のストレスに悩まされることになります。また、多数側でメッセージの責任者となる人が明確になっていないと、メッセージ内容の信頼性が問題になるかもしれません。せっかくの組織知がなかなかうまくトップに伝えられない、というような場面に出くわしたことはありませんか?

これは仕組みづくりの問題で、複数の参加者が協力して一つのメッセージを作り出す訓練と実践が徹底されている組織であれば何でもない話なのですが、そうでないとなかなか難しいということになります。

逆に言えば、訓練と実践の話ですから、トップにその気がありさえすればどんな組織でもその仕組みを作ることは難しくはないのです。あなたの会社でも、「組織知をメッセージ化してトップに伝える」仕組みを導入されてみてはいかがでしょう。