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コラム

2018.10.23

人はなぜアイディアを思いつくのか

 コンサルタントと言う仕事をしていると、時々びっくりさせられるような鋭い発想をする人に出会うことがあります。組織の中にいる人でも、あるいは個人で凄い仕事をしている人でも、どうしたらこんな発想が出てくるのだろうと不思議に感じるくらいです。こういう人たちはなぜそんなアイディアを思いつけるのでしょうか。もっと根源的な問いに立ち返れば、なぜ人はアイディアを思いつくようにできているのでしょうか?

 文化人類学者の川喜多二郎氏によれば、それは人(人類)が発展するためなのだそうですが、流石に日常の仕事の中では人類の事はあんまり考えていないだろうと思うのです。むしろ自分のことと相手のこと、あるいは会社のこととそれ以外のこと、くらいしか頭に入っていないような気がします(よく参照させていただくラニー・バッシャムによると、人間が一時に意識できる対象はわずか一つだけ、とも言われていますし)。

 それでもやっぱり、思いつく人はそれこそ次から次へと、アイディアを思いつかれるわけでして、本当にそれはどうしてなのだろうと思ってしまうわけです。

 そこで論理学の世界に立ち返ると、またまた川喜多二郎氏の整理ですが、帰納法(induction)、演繹法(deduction)に加えて発想法(abduction)という考え方を参照されています。これは論理学・哲学の上山春平氏からアリストテレスの考え方として紹介されたものだそうですが、だとすると他人に自分の考え方を説明するための方法論として発想「法」、もしくはabductionですから意訳すると「どこかから引っ張ってきたもの」、についてもその正当性あるいは妥当性が古代ギリシャの時代から認識されていた、ということになりますね。

 思いつきは、人をナルホドと言わせるため。

 確かに一番よく思い付きが湧いて出るのは人と話している時、だったりしますので、この考え方もあながち間違ってはいないと思うのですが、でもやっぱり何か違うような気がします。

 課題を抱え、思い悩んでいる時にでもアイディアは湧いたりします。悩みを抱えて寝ると、翌朝解決のためのヒントがアタマの中に整理されてあった、というようなご経験をされた方はいないでしょうか(実は私にはこういうことがよく起きるのです。寝ている間に小人さんが出てきて仕事をしてくれた、と童話みたいな解説をしていますが)。

 それがどんなに独創的なものだったにせよ、やっぱりそれは課題解決のためだったり、もしかするとちょっとした成長や発展を期待した結果としてアイディアを思いつく、ということの延長線上にしか、発想の原点は探せないような気がします。

 そこでよくよく考えてみると、人類なるものの成り立ちはやっぱり個人の積み重ねなので、とある個人が課題を解決したり成長や発展を遂げることは、総和で考えれば人類全体の発展につながる?という整理もできなくはないのかな、と。

 鬼籍に入られてからもうだいぶ時間が経ちますが、川喜多二郎氏であればどんな答えを出してくれたのか、ちょっと興味のある疑問点ではありますね。

あなたの会社では、周りを驚かすアイディアマンを上手く活用できていますか?

2018.10.16

話せばわかりそうなものだけど

研究会や勉強会を主催していると、なんでなんだと言いたくなるような出来事にしばしば出くわすことがあります。たとえば会報をメール配信しているような場合にありがちなのが、催事の記事に申込先が別途記載されているというのに、配信メールへの単純返信で申し込んでくる人が後を絶たないことです。単純返信されないように配信専用のメールアドレスを作るのが有料だったりすると、どうしても割り切れなさを感じてしまいます。

メールに書かれた注意書きをついうっかり見逃すのはまだ分かるとして、会合などで直接連絡したにもかかわらず、まだ同じ現象が続くという経験をされたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。会合など一対多の関係で伝えられるメッセージは、どうしても聞き漏らしする人が出てくる可能性が残ってしまうようです。それはなぜなのでしょうか?

会合での連絡事項などは、メッセージの性格上どうしても最後に伝えられることが多い分、集中力が切れているということもあるでしょう。またそもそも人間は、人の話を聞かされることを負担に感じる生き物なので、「自分が対象なのかどうか」をまず判断してしまうという性癖があります。必ずしも自分が対象ではないと判断した連絡事項は聞き流すだけになるので、主催者側からすると「言っても伝わらない」人が出てくる原因になります。

これが一対一になると、伝わることの確かさはぐっと上がります。特に確認のフィードバックが取れる双方向のコミュニケーションが成立していれば、確かさは一層確実になります。

やって見せ、言って聞かせてやらせてみて褒めてやらねば人は動かず(山本五十六)

良く知られた対人コミュニケーションの極意を教える言葉ですが、この言葉の中にも「やらせてみる」というフィードバックのプロセスが織り込まれています。実は一対多のコミュニケーションでも、簡単なフィードバックのプロセスを織り込むだけで随分とストレスは軽減されることが知られています(小学校で先生が「分かった人は手を挙げて」という、あれです)。

これが多対一の関係になると、一対一の関係に比べて伝わることの確かさがさらにアップする反面で、伝えられるべきメッセージがまとまりにくくなるという別のストレスに悩まされることになります。また、多数側でメッセージの責任者となる人が明確になっていないと、メッセージ内容の信頼性が問題になるかもしれません。せっかくの組織知がなかなかうまくトップに伝えられない、というような場面に出くわしたことはありませんか?

これは仕組みづくりの問題で、複数の参加者が協力して一つのメッセージを作り出す訓練と実践が徹底されている組織であれば何でもない話なのですが、そうでないとなかなか難しいということになります。

逆に言えば、訓練と実践の話ですから、トップにその気がありさえすればどんな組織でもその仕組みを作ることは難しくはないのです。あなたの会社でも、「組織知をメッセージ化してトップに伝える」仕組みを導入されてみてはいかがでしょう。

2018.10.09

強みが強みである理由とは

経営コンサルティングに携わっていると、よく「強みは何か」だとか「強みを生かす経営とは」などという問いかけを目にすることがあります。目にするだけではなく、自身の意見や発表にもしばしばこの書き出しを使います。

それほどに一般化されている経営上の「強み」とは何か。ごく当たり前ですが、競合他社より優れていたり、競合他社には備わっていない戦略上の具体的な機能・能力などを言い表したコトバであると捉えて間違いないと思います。

でも、この「強み」ですが、自らの置かれた環境が変われば実は大きく変わるものなのですが、それを切実に認識している経営者は案外多くないように見受けられます。それは一体どうしてなのでしょうか?

たとえば、田舎の高校でスポーツがよくできる子がいたとして、おそらくその地域ではその子にとってスポーツができることは「強み」に違いないだろうと思います。結果としてその「強み」を生かして首都圏の大手私立大学へ入学できたとすれば、それは明らかに「強みを生かした」選択と言って差し支えないのだろうと思います。

ところが進学後、周囲には全国から選りすぐられたエリートばかりが集まっていて、合宿所では特に目立たない一学生へと大きく立場が変化します。それまでの「強み」がそうでなくなる一瞬です。

努力の甲斐あって、なんとか試合に出られるようにはなりますが、エースやスターになるには4年間はあまりにも短く、結局「強み」を生かしきれたかどうか、という段階で卒業することになり、都会で就職したり、故郷へUターンしてそこで仕事を見つけたりします。

そうする中で、こんどは趣味として向き合ったスポーツにおいては、再び「強み」を感じられる日々が訪れたりします。「〇〇大学でインカレに出ました。」一般的にはこの一言だけで十分な殺し文句になります。営業マンとして客先に出向いた際も、営業トークに花が添えられることになるでしょう。

実はこの論理は、個人だけが対象というわけではありません。国内の、厳しい競争環境で生き残ってきた歴史と言うのは、国内市場においては当たり前の歴史なのかもしれませんが、海外の潜在的ユーザーから見れば、何よりの強みにしか見えない、ということもあるのです。ポイントは、どこの市場で自分の強みを最大化できるのか、そういう市場にどうやってアプローチするのか、ということですね。

あなたの会社では、「強み」を最大化できる市場に取り組めていますか?そういう市場を切り出すための努力を続けていますか?